
納期目安:
06月29日頃のお届け予定です。
決済方法が、クレジット、代金引換の場合に限ります。その他の決済方法の場合はこちらをご確認ください。
※土・日・祝日の注文の場合や在庫状況によって、商品のお届けにお時間をいただく場合がございます。
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「心寧累自息」漢文・白楽天
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる原本の断層画像写真
閉じる澪標・俵屋宗達・筆
閉じる澪標・俵屋宗達・筆(拡大)
閉じる源氏の君の住吉参詣
閉じる源氏の君の花散里への訪問
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品 | ||||
商品説明(来歴) | 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。【激レア 貴重 入手困難】『相国寺派管長 独山禅師墨跡画幅』獨山禪師 芸艸堂出版部 昭和6年(1931年) 和綴じ 墨蹟 書 臨済宗。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。七五三ノ料理他作法雜録(仮題) 寫本 上州緑埜郡藤岡町稲荷社陰陽組頭/土御門殿配下生□左近。 | |||
漢詩文 | 原文上部には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。兵法雄鑑。紫式部が「澪標」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「澪標の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「澪標の巻」に用いられていることで広く知られている。長谷川伸旧蔵書 福島宗緒『吉野川上村史』昭和15年 奈良県吉野郡川上村役場刊 著者直筆献呈署名入 吉野林業 吉野杉。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。 | |||
漢詩の落款の意味 | 原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。紙治小春善惡兩轉 早引説要集 後編 山東京山作。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。HHj-4598■送料無料■ 生花早満奈飛 1〜10編全10冊揃え 弘化2年 江戸時代 活花 挿花 花道 華道 盆栽 煎茶道 木版画 本 古書 古文書 /くJYら。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。1941年 印癖 原鈐21顆 印刷9顆 印譜 非売品 検索:金石篆刻 印存 書道 封泥 朱印 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 金文 篆印 落款印 支那 唐本漢籍。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。g∞ 明治期 華山翁蘭竹画譜 乾・坤 2冊揃 明治13年 編・貫輪吉五郎 /E02。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。「西洋事情」/福沢諭吉纂輯/初編明治3年再刻、外編慶應3年?、二編明治3年/慶應義塾蔵版/尚古堂発売/全10冊。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、 「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。清輔袋草紙。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。 つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。0033921 続字彙補 7冊(子、丑、末、申、酉、辰、戌) 清・呉任臣。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。送料込み、明治26年版。江戸時代の信濃・長野の郷土解説「千曲之真砂」全10巻5冊、 瀬下敬忠。。 | |||
自筆の希少価値について | 自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。★【希少品 松尾芭蕉/俳句関連 書物/古書】蕉門頭陀物語★送料180円~。神谷大周『説教士女訓 二編』明治15年 大村屋宇田総兵衛刊 明治時代和本 浄土宗大僧正・霊巌寺住職 仏教書 仏書。 出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。今川了俊愚息 天保4年 今川貞世 南北朝時代 九州探題 室町幕府 戦前明治大正古書和書古本 NA。踏水訣 肥後/小堀長順常春著 寳暦八年春三月吉辰刋。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。即決1709年(宝永6)年『授時暦経諺解 巻2』アンティーク天文暦学書、江戸期和本天文、日蝕、月蝕、卜占吉凶、陰陽師、二十八宿、六十干支。三井銀行五十年史。撮影後、展示のために再表装をしております。蔓難録 七巻(全五册) 龍洲柘先生著。黒田行次郎『増補和解 西洋事情 附録』慶應4年序 村上勘兵衛刊 江戸時代和本 福沢諭吉関連貴重書。 | |||
断層(MRI)写真 | 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。1937年 號外 蒋介石 何応欽 蘆溝橋 支那事変 検索: 中華民国 汪精衛 関東軍閥 憲兵 国民党 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 満鉄。古文書 西院流 起請文 安永3年 江戸時代 仏教 密教 真言宗 空海 検)天台宗仏陀浄土真宗浄土宗親鸞法然護摩加持修法写本印信案密印 NP。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。文久江戸時代 論語 孟子 学庸 古文書 1026P3h。名所小鏡。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。!!貴重 明治古書●「徳川幕府刑事圖譜」(色刷版画)●各頁に画題(上部和文・下部筆記体英文)●藤田新太郎:編・画●神戸直吉:刊●。長谷川伸旧蔵書 開拓使編纂『北海道志』(全三十五巻二十五冊揃)明治17年 大蔵省刊行 明治時代和本(和装活字本)地誌。 | |||
「源氏物語」の自筆について | 1・筆跡の分析について 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。速水春暁斎『絵本金毘羅神霊記』(全10冊揃)文化5年鶴屋喜右衞門他刊 江戸時代和本・読本 大坂の浮世絵師による絵入本。霊飛経 唐本漢籍 線装本 検索:光緒年 木版刷 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 支那 刻経 玉扣 木刻本 筒子頁 殿本 宣紙 白棉紙 清朝 経書。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。長谷川伸旧蔵書 西川友孝『随筆集 庭を想ふ心』昭和12年 旺玄荘刊(滋賀県大津市)造園家 庭園設計家 日本庭園。【激レア】日本文化/折紙 /伝統の美 /宮脇龍夫 著 /レア /廃盤 /コレクション /アンティーク/ 本/折り紙 /おりがみ/古書/希少/origami。 2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について 自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。214-2辰巳ヨシヒロ「和本てんぐ堂主人」肉筆カラー口絵付、和本シリーズ①紅書房/ドンコミック未読本、限定版26/50部。古文書 横山大観 「岡倉天心偉績顕彰会講演稿」 超珍品 楷書 共立記念講堂 茨城県 五浦 昭和18年 歴史資料 日本画 原稿。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。特殊労務者の労務管理 前田一 山海堂 昭和19年 帯付き 戦前 戦時中 古書 古本 レトロ アンティーク ビンテージ。柳田泉旧蔵書 正司考祺輯録『武家七徳』(全十八巻十八冊揃=前編十巻十冊+後編八巻八冊)嘉永5年序刊 江戸時代和本 近世木活字本 経世書。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。節宇遺稿 全 付 遺芳纂録 亀山雲平 節宇遺稿出版事務所 播磨聖人。北亞墨利加小舶之圖 マンハッタン號 筒井肥前之守(筒井政憲)舊藏 幕府御用繪師畫。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。h∞∞ 頭書 増補和歌題林抄 1巻~10巻 不揃い 10冊セット 11巻欠け 古文書 古書 発行年不明 /C05。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 富家鞭 古文書。母は後水尾天皇皇女女二宮。希少 天保九年 倭漢偉人番付表 江戸期木版画 レターパックライト可 0407U7G。清代各地 将軍 都統 大臣 年表 検索:初版 盛京 奉天府 清朝 清時代 道光 嘉慶 乾隆 同治 順治 宣統 光緒 軍機処 江南製造局 康煕 咸豊 八旗。幼名は多治丸。明治34年発行 南華眞經巻第六~十 郭象子玄註 陸徳明音義 有井範平 訓點 瀧錬太郎 校 中川明善堂。【天白】古通豆本 特装版 全137冊(1巻~135巻+別冊2巻) 木製本棚ケース 書架 こつう 日本古書通信社 コレクション 書籍。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。上州路 史跡篇 昭和28年発行。●美術書●『書画必携 名家全書』全7冊揃 文久元年序 積玉圃 落款●古書 和本 江戸時代。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。支那 美人 麻将 麻雀 15cmX11cm 白黒 検索:生写真 中華民国 旗袍 小姐頭 洋行 憲兵 巡捕 租界 老照片 相片 水煙 日中戦争 満州事変 妓女。『諸国案内旅雀』(8冊セット)享保5年和泉屋山口茂兵衛梓 江戸時代和本 絵入本 地誌 古地図 旅案内 諸国旅雀。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている | |||
HP | 近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。和本『韻府古篆彙選 5冊揃』 西陵陳策嘉謀父纂 博文館 明治36 落款。熊沢淡庵『近代正説碎玉話 武将感状記』(全10冊揃)正徳六年序 秋田屋太右衛門他刊 江戸時代和本 戦国時代-江戸初期の武将・武人逸話集成。 ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。■希少 美品 1700年頃(江戸中期) 手書き華道手本巻物!三雅流挿花法式図(華道/いけばな) 「遠州流」)全長約5.9m、幅12.7cm ベストセラーランキングです近くの売り場の商品カスタマーレビューオススメ度 4点 現在、3680件のレビューが投稿されています。 |
原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。糸ほつれ有。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。山岡鐵舟題字。■源義經=Genghis Khan説。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。
出品した「源氏物語」は澪標(みおつくし)の内容の要旨
「澪標の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。源氏の君は内大臣となり、政界は源氏の君にとって追い風となる情勢であった。二条院で源氏の君の帰りを待ちわびていた紫の上への思いもあり、内大臣という立場も重なって、源氏の君は以前のように軽々しく恋人のもとへ出歩くこともできなくなっていた。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。
「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。源氏の君は、冷泉天皇の父として太政天皇に即位する。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。
「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。大阪心齋橋駸々堂發行。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
原文には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。
くはん(願)ともはたしたま(給)ふへけれは、いかめしき御ありきにて、
世中ゆすりて、上達部殿上人、われもわれもとつか(仕)うまつり給ふ。ふね(船)にてまうてたり。かく(楽)人とを(十)つら(列)なと、
さうそく(装束)をとゝのへ、かたちをえらひたり。
願いの数々のかなえられたお礼を果そうとのおつもりなので、
威風さかんなお出かけとて、世間でも大騒ぎをして、上達部(かんだちめ)や
殿上人(てんじょうびと)が我も我もと競ってお供申しあげなさる。
船路での参詣である。
楽人十人など、装束をととのえて、顔だちのすぐれた者を選んでいる。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《Channel Buoys (澪標)》
It was a brilliant progress, in thanks for the granting
of his prayers.
By the merest chance, it came on the day the Akashi lady
had chosen for her own pilgrimage, a semiannual observance
which this time had a special purpose, to apologize for her
not having been able to present herself the year before
or earlier this year.
She came by ship.
As the ship pulled in, a gorgeous array of offerings was being
laid out on the beach.
The shrine precincts rang with the shouts of bearers
and there were uniformed dancers, all very goodlooking.
"And whose party might it be?" asked one of her men.
The very inferior footman to whom the query was made
laughed heartily.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。実母は近衛家女房(瑤林院)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定